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何処かの誰かさん

 

 

アイドル風磨くんと失恋した○○ちゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、○○、...え?」

 

 

ぽかん、と口を開け驚き顔の風磨にサプライズが成功したような得意気な気持ちになる。こんなに吃驚するのも無理はない。長年胸下まで伸ばしていた髪をばっさりと顎で切り揃え、服だってありきたりなワンピースじゃなく可愛い形のトレーナーに細身のスキニー。何となく、馬鹿馬鹿しいけれど失恋して髪を切るという行為に小さな憧れがあった。それならば失恋した今がチャンスだと思って髪を切って今までの創られた自分も捨てたんだ。

 

 

『あ、ビール頼んでくれてたんだ?ありがと!んじゃあわたしの門出を祝して、乾杯〜!』
「いや、おま、自由人すぎんだろ...、まあとりあえず乾杯」

 

 

カチン、と合わせたグラスの中身がしゅわしゅわと気泡を作りながらたぷたぷと揺れる。零さないように泡に唇をあて一気にごくごくと飲み干す。はあ、至福、やっぱりカシオレやファジーネーブルみたいな甘い可愛いお酒よりビールに限る。

 


"お姉さん、いい飲みっぷりっすねえ〜"、高そうな個室の向かい側でニヤつく風磨は大学時代に出来た友人で、わたしにはもう〈友達の風磨〉にしか見えないけど、数十万人のファンがいるアイドル。まあ何年経ってもこの顔の良さに見慣れることはないけど。そんな彼とこうして2人で会えるのも、あの束縛モラハラ男と別れたおかげだと思うと、うん。やっぱりあの時別れれて良かった。

 

 

「てかそういう格好すごい似合うじゃん、俺好きだわ」
『ほんと?元々こういう感じが好きなんだよね』
「ああ、束縛激しかったんだっけ?」
『うん、服装とか髪型も好みじゃないとダメだったし、ビールもするめも女らしくないからだめとか言われてた』

 

 

思い返せばキリがない。男と2人で会うのはダメ、大人数の中に男がいるなら許可を取ってから、勿論お酒は禁止。ほんと、今考えたら何様のつもり?って感じだ。なんであんな横暴な言い分をハイハイ聞いてたんだろう。そのせいでこうして古くからの友人と2人でゆっくり過ごす時間も奪われてたんだと思うと腹が立ってきた。恋は盲目って言うけれど、本当にそれだ。

 

 

『はあ、自由って最高!あんな男ならもっと早く別れたら良かった』
「まあ吹っ切れて何よりだわ、原因はなんなの?」
『浮気、合鍵使って入ったらベッドに女の子と2人でいたんだよ?なんの漫画だよ!こんなとこで少女漫画設定なんていらないんだけど!』
「はあ?マジか、へえ、○○と付き合ってんのによく他の子と遊べんな」

 

 

"勿体ないわ〜、ありえね"、とさりげなく擁護してくれる風磨は芸能人という壁があっても昔からモテた。元彼と付き合ったのは4年間だから大学生の頃からで。わたし含め、風磨と元彼も同じ学科だから顔見知り程度には知っていた気がする。風磨と出会った頃には既に元彼と付き合ってたっけ。あの頃はラブラブだったのになあ。

 

 

『4年経てば人の感情も変わるんだよ、多分』
「いやあ、それはどうかな〜」
『風磨はずーっと1人の人だけ想い続けたことあるの?』
「あるよ、自分でも引くくらい長い間ずっとそいつのことが好きだった、つうか今も好き」

 

 

その真剣で柔らかい、まるで愛おしい人を想う瞳に名前も顔も知らない誰かさんがほんの少し羨ましくなる。風磨みたいな素敵な人に長年愛される人ってどんな人なんだろう。あーあ、わたしも早く素敵な人見つけよっと。

 

 

『じゃあ上手くいくといいね!』
「ほんとにな、でもそろそろ潮時かも」
『えっ諦めちゃうの?』
「いや?片思いの潮時ってこと」

 

 

くい、とグラスを傾けたアルコールが風磨の喉を通りこくん、と喉仏が動く。男らしいそれに目を奪われる。危ない危ない、いくら失恋後の傷心中だからって男友達にオトコとしての魅力を感じてしまった。生のグラスは2杯目だけれど調子に乗って呑みすぎたのかも。

 


3杯目の誘いを断り頭を冷やすために頼んだ烏龍茶を焼き鳥を頬張りながら待つ。片思いの潮時、ってことは告白するのかな?そういえば風磨に出会ってから彼女の存在を認識したことはない。見た目に反して一途なのもなんだか風磨らしい。やっぱり、誰かに恋する風磨も、想われている誰かも羨ましいな。

 

 

『どっかに素敵な恋落ちてないかなあ』
「んー、意外と目の前に落ちてたりすんじゃない?」
『目の前って、さすがに、』

 

 

"気付くでしょ"、そう口許を綻ばせながら言いかけて髪を耳に掛けようとした手がピタリ、と止まる。目の前?いま私の目の前にいるのは、

 

 

「俺とかオススメだけどね」

 


揶揄わないでよ、なんて言える訳ない。だって風磨の瞳は真剣にわたしを射抜いてるんだから。予想もしていなかった展開に壊れたロボットのようにガチガチに固まってしまえば風磨の香水が風に乗って届き近付いたことを知る。

 

 

『、ちょっ、と、待っ、』
「...ここ、タレついてる」

 

 

テーブルに身を乗り出した風磨の顔がずい、と近付き焦って目をきゅっと瞑れば口端を指先で拭われた。何だか拍子抜けしたまま目を開ければ、ぱくっとタレのついた指を舐める光景が目に入って、変な勘違いをした羞恥心も相まってぼぼっと頬に熱が集中する。

 

 

「キス、すると思った?」
『!だって風磨が、!』

 


「ばーか、まだしねえよ」

 

 

まだ、ね、と強調されれば見えないはずの未来を勝手に想像してしまって。雰囲気を無視して運ばれてきた烏龍茶で異常に乾いた喉をぐびぐびと潤せば余裕そうに風磨が ふ、と笑う。

 


もしかしてわたしは、名前も顔も知らない誰かさんなの、かも?