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こめかみに口付けを

 

 

健人くんに癒される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


エレベーターの鏡に写った姿は朝とは大違い。よれたアイシャドウにほぼほぼ落ちたリップ、少し崩れた前髪は明らかに残業終わりでクタクタです、って感じ。最悪、と1人呟けばこんな姿見せれないと焦ってハンカチで目元のよれを直しながら紅を引いた。こんな日に限って靴擦れしたパンプスが廊下で不愉快な音を立てる。
あー、もう、ほんと最悪な1日。

 

 

『ただいまー......』
「おかえり、仕事お疲れ様」
『ありがとう、、折角健人くん今日早めに帰って来れたのにごめんね、夜ご飯何食べた?』

 

 

玄関までわざわざ出迎えてくれた健人くんの微笑みに癒しを感じる。甘え下手でなかなか甘えられないのに今日は疲れを言い訳にして珍しく身を寄せてみれば、すんなりと労わるように抱き留められた。ふわり、といつもの香りいつもの体温に包まれれば帰宅を実感して深い溜息が洩れる。

 


最近同棲を始めてみて、帰ってきた時に誰かがおかえりと言ってくれる安心感と幸福感を実感した。今日は同棲をスタートしてから初めての深夜残業だったからより心に染み渡る。

 

 

「いやまだだよ、一緒に食べよ?」
『え、?!だって今22時、......ごめん、わたしが遅かったから、』
「俺が○○と食べたくて勝手に待ってたんだから謝んないの〜」

 

 

"ほら、食べよ食べよ"、テーブルには健人くんが作ってくれたオムライスが2つ並んでて。少し焦げた卵にはおっきなハートが描かれている。スプーンを差し込めば中には不揃いな形の具材たちが入っており、不器用なそれに胸の奥がぎゅん、と掴まれた。

 

 

「見た目はちょっとアレだけど、味は!味は大丈夫だから!」
『ん、美味しい、......ほんとおいしい、』
「っえ、○○?ごめんごめんごめん、泣くほど不味かった?あれ?」

 

 

よく理解できなくてぱち、と1度瞬きをすれば一粒水滴が零れ落ちた。オムライスの代わりにそのしょっぱさが味覚を占めて漸く涙だと気付く。あれ、なんでわたし、いつの間に泣いてるんだろう。

 

 

『ちが、ごめ、何でだろ、美味しすぎてかな、......はは、』

 

 

社会人何年目なのに残業でクタクタに疲れて泣いてる、なんて恥ずかしい、ダサい。必死に創った笑い声さえも渇いてて。せめて泣き顔を見られないように俯けば、全て見透かし受け止めるかのように柔らかな声が鼓膜に伝わる。

 

 

「疲れた時は思いっきり疲れたって言っていいし泣きたい時は泣いていいんだよ、それも○○が1日頑張った証でしょ?」
『ッ............疲れた、ほんとに』
「うん、今日も1日よく頑張りました」
『...オムライス、美味しい』
「でしょ?我ながら上出来だわ」

 

 

上げた視線の先でまるでリスみたいに口いっぱいにモグモグする健人くんに思わずふふ、と口許が緩む。更にスプーンをすすめればほっぺたも落ちてしまうような幸せがまた1口。食べ終わる頃には、お腹は健人くんから貰った愛情でいっぱいだった。

 

 

『健人くんほんとありがとう、すっごく癒された』
「あれ、もしかしてこれで終わりだと思ってない?」
『、へ?だってもう十分、』
「あーもうね、こんなんじゃないのよ俺の癒し力は!お前はもっと俺に甘えなきゃダメ!」

 

 

癒し力、というなんとも健人くんらしいワードや案外恋人のことをお前って呼んじゃうタイプなところが好き。ついでに言うとすぐ変なショートコント始めたり、異常なまでのハイテンションになったりするところも好き。色々思い返して1人笑っていれば、"はい、目瞑ってくださーい"、という言葉に素直に従う。

 


少しひんやりとしたそれが優しく目元に当てられ、独特の香りに化粧落としシートだということが分かる。お化粧まで落としてくれるなんて、ちょっぴり恥ずかしいけどなんだか年甲斐もなくお姫様気分を感じてしまう。

 

 

「ソフティモだからね」
『お肌綺麗になるね、HoneyHoneyだもん』
「頑張り過ぎて疲れてたり真面目なキミはほっとけない〜」
『ふふ、贅沢』
「○○が喜んでくれるならいくらでも」

 

 

口ずさんだワンフレーズにもそれを上回るくらいの甘い囁きにも、化粧落とし中だっていうのにチークを塗ったみたいに頬が染まる。

 


いくらすっぴんを見られてもなんとなく恥ずかしくて目を伏せれば頬に手を添えられて、"綺麗だよ"、なんて言われて。

 

 

『健人くん、......困っちゃうくらいだいすき、』
「、!えっ、なにいきなり、」

 

 

こっちがいざ素直になって愛を伝えれば分かりやすくまんまるな黒い瞳を揺らして"、ほら、お風呂行くよ"、なんて狼狽えるんだから、もう完敗。

 

 

 

 

 

 


お風呂上がり、いつもの化粧水に手を伸ばせばそっと手をとられ遮られる。健人くんが手にとったのは特別な日用の高級な化粧水や美容液。コットンにそれを染み込ませぴたり、とあてられれば火照った頬がひんやりして気持ち良い。

 

 

『今日特別な日じゃないよね?』
「今日は特別、頑張った日でしょ」

 

 

帰った時はあんなにボロボロだったのに、たった数時間でこんなに幸せにしてくれるんだから敵わない。クリームまでしっかり塗り込んでもらいながら、さっきから甘くてお洒落な新曲が頭を離れない。

 


"最後に、"、そう唇がちゅ、と可愛らしい軽やかな音を立てて重なれば健人くんの蜂蜜リップの味がふんわりと香った。

 

 

『、もう、不意打ちずるい』
「だって○○が可愛い顔してるから」
『し、してないよ、!』
「えー?してたけどなあ、ほら髪乾かしてあげる」

 

 

ぶおお、とドライヤーの音が響くと同時に健人くんの声がして。大きめの声で聞き返せば、"何も言ってないけど"、だなんてしらばっくれるけれど本当は何て言ったか鏡越しに口の動きで分かってる。

 

 

『わたしもだよ』
「え?なに?聞こえなかった」
『ふふ、なんでもない、明日も会社頑張れそう!』
「ん、頑張れ」

 

 

だって君がくれる毎日はこんなにも幸せな香りに溢れてるんだから。大きく息を吸い込めば、ほらまた、2人から同じ石鹸の香り。

 

ね、幸せでしょ?